対岸の彼女

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去年の暮れから続いていた、一連のライブも、
先週の岡崎で一段落。
 
ということで、
ここのところ、
図書館から借りていた《音声図書》を聴きまくってるんだけど、
そんな中の一冊、
《対岸の彼女(角田光代著)》は、
忘れられない本となった。
 
 
物語の中心となるのは、
17歳の葵と魚子(ナナコ)。
そして、35歳の小夜子と葵。
 
語弊があるのを承知で言えば、
彼女たちは、
《特別な人生》を、歩んできた人たちではないと思う。
 
仮に、葵や小夜子が実在して、
エッセイ執筆なんて話が舞い込んだとしても、
「私の人生なんて、
本にするようなものじゃないですから」なんて、
異口同音に断っちゃうような。
 
高校生の葵と、
娘と夫と暮らしている小夜子は、
《クラスにひとりはいるタイプ》なんてもんじゃない。
 
自信のなさ。
人との距離のさぐり方。
周りの流れに抗うことはできないけれど、
胸の中で感じる矛盾や嫌悪。
あこがれと不安。
 
きっと、男子であるぼくも含め、
クラスの半分以上の人たちが、
どこか自分と重ね合わせちゃうような存在だと思う。
 
 
最近観たテレビの中で、
「大切なのは《正否》ではなくて、
《共感》なんじゃないでしょうか」という言葉を話している人がいて、
もんのすご?く共感しちゃったんだけど、(笑)
まさにこの本は、
《共感の連続》だった。
 
主人公たちだけでなく、
その家族をはじめとした、
登場人物たちの、ちょっとした行動や言葉、
心の動き。
ほんと、数分に一度《共感》しちゃうような。
 
 
人が守ろうとしていたり、
しがみつこうとしているのって、
本当に些細なものだったり。
また、実に些細なことで、
傷ついたり、
傷つけたり、
嫉妬したり、
自信をなくしたりもするんだろうけど、
でも、
うれしくなったり、
やさしさやつながりを感じたり、
信じようとする力が沸いてきたり、
一歩を踏み出すことができるきっかけも、
実は、ほんの些細なことなのかもしれないと、
あらためて、感じたりもした。
 
 
ちょうど卒業を迎えたり、
学生生活の真っ只中にいる人にも、
ぼくと同じ世代にも、
おすすめしたくなる一冊だった。
 
直木賞も取ってる本らしいから、
すでに読んだって人もいるのかなぁ。

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このページは、Mプロが2006年3月11日 02:31に書いたブログ記事です。

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