2005年3月アーカイブ

本日3月30日、
ぼくがヴァイオリンで参加している、
より子ちゃん
のマキシシングル、
《忘れられた桜の木》が、
東芝EMIから発売された。

より子ちゃんとふたりでスタジオの同じブースに入り、
彼女が奏でるグランドピアノとともに、
《一発録り》で完成させたのは去年の秋のこと。

いわゆる一般的な、
やり直しがきく方法じゃなくて、
ライブ感、そして緊張感満載の、
たのしいレコーディングだった。

後日
プロモーションビデオ
の撮影にも参加させてもらったんだけど、
レコーディングでも撮影の時も、
ちょっとした合間には、
ピアノとヴァイオリンでセッションしたりして。

こんな風に、
休憩時間の間にも、
言葉でではなく、
音楽で会話できたことで、
かえって、より子ちゃんの人となりを感じることができた。


やはりピアノを奏でる古くからのともだち、
加藤景子さん
に会ってきた。

ぼくは自分で、
譜面を書くことができない。
でも
《ライブ@シアターサンモール》
のリハーサルまでに、
新しい譜面が必要となってしまい、
それを作ってもらうため、
彼女のスタジオまで出かけていった。

今回の本番をいっしょに迎えるわけではないにもかかわらず、
どうしても、
加藤に頼らざるをえなくなってしまい、
「忙しいんだろうなぁ」と思いつつ、
お願いの電話をかけると、
やはり3月中はスケジュールがいっぱいで、
4月に入ってからならなんとかなるとのことだった。

「仕方ないよな」と思いながら電話を切ると、
すぐに彼女から電話がかかってきた。

「あさってなら、なんとかなるかもしれないよ」
明るい声でこう言われた時は、
ほんっとにうれしかったなぁ。


スタジオでは、
ぼくが持って行ったMDを聴いて、
「相変わらず独特のコード進行やなぁ。
こんなにしょっちゅうコードチェンジするなんて、
まったくミュージシャン泣かせだよ」なんて笑いながら、
グランドピアノを前に、
ぼくの音楽的なこだわりにも、
ちゃんと心を配ってくれつつ、
実にていねいに、
2曲の譜面を書き上げてくれた。

「この曲、
そのうち、
うちもやることになるかもしれないから、
MDもらっといてもいい?」
なんて申し出も、
これまたとてもうれしかった。


今まで加藤とは、
ほとんど仕事の時しか会ってなかったから、
言葉より、
音楽で会話してる時間の方が長かったんだけど、
この日は譜面起こしをしてもらった後、
実に久しぶりに、
お茶を飲みながらゆっくり話すことができた。

彼女は最近、
アフリカ旅行にとても興味があるという。

「アフリカにはね、
《360度地平線》ってところがあるんだって」

「へぇッ☆
それじゃそこならさ、
オレも思いっきり、
車運転できちゃうね」

と返事したら、
彼女が急に身を乗り出した。

「そうだよッ☆
車も運転できるし、
思いっきり走ったってだいじょぶだよッ♪
東京で太郎が走ったら、
《見えないからあぶない》ってことになっちゃうけど、
それって何かにぶつかるからってことでしょ?
でもさ、360度地平線なんてところだったら、
どこまで全力疾走したってだいじょぶだよ。
きっとさ、
《見える》とか《見えない》とか、
関係なくなっちゃうような、
今までとはぜんぜん違う価値観の中で生きられそうな気がしない?」


《今までとは違う価値観》かぁ。
確かに《見える/見えない》にかかわらず、
色々なものが変わりそうな気がする。
というか、
それまで自分が気にしていたほとんどが、
たいしたことじゃないように思えてきそうだ。

きっと《見える/見えない》なんて関係なく、
充分に感じられる世界なんだろうなぁ。

いやほんと、
この地球上に、そんな場所が、
確かに存在しているということを教えてもらえただけで、
《今までの価値観》は、
すでに微妙に変化してそうだ。


「絶対いいライブにしてネッ」
駅のホームまで送りにきてくれた加藤に手を振って、
電車が走り出してからも、
しばらくずっと、
《360度の地平線》を想い描いていた。
ほんと最近は、
何かと視野がせまくなりがちだったけど、
この一言で、
パッと広げてもらえたような心持ちになった。


部屋に戻ってきてから、
この日加藤がくれた、
最近彼女が組んだピアノトリオ、
《LANDROBE》のCDを聴いた。

「昔は「なんでもできなきゃ」って思って、
肩肘張ってたけど、
最近やっと、
そういうのが取れてきた」という言葉どおり、
とてもやわらかなピアノの音色が響いてきた。

特にラストに収録されていた美しいバラード、
《POLAJEOUS》には、
とても深い部分を刺激された。

加藤の弾くピアノと、
ドラムやベースとの間でも、
実に様々な、
会話が交わされているようだった。


ぼくも音楽で、
そして言葉で、
これからも、
たくさんの人たちと会話を交わし、
響き合いながら歌いつづけていきたいと、
心から思った。

数あるクラシックの作品、そして演奏の中で、
ぼくにとって特別な1曲は、
女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュプレが弾く、
ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲だ。

はじめてこの演奏を聴いた時の衝撃は、
とにかくすさまじいものだった。

第一楽章の長いイントロが終わり、
デュプレのチェロが最初の音を発した瞬間、
思わずハッとして、
しばらくの間、
動くことができなかった。

ただのたとえ話だと思っていた、
《稲妻に打たれたような衝撃》を、
はじめて経験したのもこの時だ。

それから何度、
このCDを聴いたかわからないけど、
なんと今でも、
この冒頭の部分を聴く度に、
必ず稲妻に打たれているということに、
ぼくは毎回おどろいてしまう。

第三楽章冒頭のテーマなんて、
「チェロが叫んでるッ」としか言いようがなくて、
後にも先にも、
こんな演奏とであったことは一度もない。

すさまじい圧力とスピードで、
弓が弦をこすり、
楽器の胴全体が鳴り響き、
それがホールの隅々にまで広がっていくその演奏。
そして度々聴こえるデュプレの呼吸。
まさに楽器と奏者とが完全に一体となって、
とてつもない生命力にあふれまくり、
ぼくは完全に圧倒される。

まるで砂浜に立って、
目の前に広がる海と、
どこまでも続く空を目の当たりにした時のように、
自分という存在が、
どのくらいちいさいのかということを、
あらためて確認できる瞬間だ。

そうなんだよなぁ。
ぼくは気がつくと、
自分というもののちいささに、
あまりに無頓着になりながら、
毎日を過ごしている。

日ごろから、
気をつけているつもりなのに、
ほんのちょっとの過信や、
おごりや傲慢さから、
気づいた時には、
そうやって作り出してしまった自分と、
実際の自分との間で、
空回りしてしまうこともしょっちゅうだ。

デュプレの弾く、
ドヴォルザークを無性に聴きたくなるのは、
いつも決まって、
こういう状況に陥った時だ。


別海ライブを終え、
《ライブ@シアターサンモール》に向かっている今、
目の前に山積みの、
そして、次から次へと増えていく、
《やりたいこと》や《すべきこと》を前にして、
今の自分が出せるスピードがいかに遅く、
その力に限界があるのかということを、
ここ数日、
いやというほど思い知らされて、
不安はふくらみ、
自信はみるみるしぼんでいった。

そんな時にかぎって、
「これでもか」ってくらい勃発する、
実に様々なジャンル(?!)にわたるトラブルやアクシデント。
よくもまぁ、
この短期間に、
しかも思いもよらないようなところからも、
次から次へと降ってくるもんだなぁと、
最近は笑っちゃうくらいだ。

今までより、
広い会場でのライブだから、
動員だってかなり心配...。

あまりにもいろんなことが、
一気に押し寄せてきて、
まさにあっぷあっぷ。
いっぱいいっぱい。

そんな時だからこそ、
デュプレのドヴォルザークに会いにいきたくなる。

自分という存在のちいささを、
もう一度確認して、
そこからはじめていきたいと、
いや、そこからはじめなきゃいけないと、
あらためて強く思ったんだ。

でも逆に、
こういう時だからこそ、
《人の力》のありがたみも痛感する。

調子に乗ってる時には、
やすやすと見過ごしてしまいそうな、
言葉や行動が、
いちいちありがたくて、
一日何度も、
感謝の気持ちがこみ上げてくる。

どれだけの人のおかげで、
今、自分がここにいられるのかということが、
たまらないほどよくわかる。

今まで生返事でやり過ごしてきてしまったみなさん、
本当にごめんなさいッ!


今はとてもきっついけど、
たまらなくしあわせでもあり、
4月10日を迎えることが、
とてもこわくて不安なんだけど、
同時にたまらなくたのしみだ。

すべてがリアルで、
《ライブ感》に満ちた時間を、
今ぼくは過ごしている。

柄にもなく、
弱気になってしまうこともあるけれど、
きっとこれから生きていく上で、
今はとても必要で、
大切な瞬間なんだろうなって心から思う。


デュプレのチェロが歌う、
ドヴォルザークのメロディは、
ぼくの中に、
「生きろ」というエネルギーとなって響いてくる。
そしてこの曲が終わる時、
そこにはいつも、
希望を感じることができる。

まだ生きてるんだから、
生きられるんだから生きなくちゃ。


真夜中の部屋のスピーカーの音量を、
可能なかぎりいっぱいに上げて、
全身でこの響きを感じようと思う。

3月20日@別海高校体育館で、
《北の大地歌声プロジェクトコンサート》が終演。

コンサート後半で歌った《ぼくの声が》の中で、
たくさんの「I Love You」が体育館に響いた時は、
本当にしあわせを感じたし、
リハーサルをはるかに上回る、《北の大地バンド太鼓隊》の迫力ある演奏には、
鳥肌が立ちそうになりました。

他にも、学校中を飾り付けしてくれたみなさん。←ちゃんと触らせてもらいましたッ
こちらとの連絡を担当してくださったり、
ぼくが演奏しやすいように、
何時間にも渡って椅子を改造してくださった先生方。
プロジェクトでがんばる娘さんとともに、
ステージ作りを進めてくださった建築会社のおとうさんとその仲間のみなさん。
快く音響機材を貸し出してくださったり、
トレーナーとして《北の大地バンド》のまとめ役となってくれた別海高校OBのみなさん。
当日ライブ参加できないことがわかっていながら、
《北の大地歌声プロジェクトホームページ》
を立ち上げ、
そこに、
「何故、この活動を行っているのか、その答えは人それぞれでも、目指しているものは一つ」
という言葉を刻んでくれた、
第一回歌声プロジェクトメンバーでもある別海高校OG。
お忙しい中、
当日の体育館に駆けつけてくださったみなさん。
限られた情報しか伝えることができなかったにもかかわらず、
ホームページの告知を見て、別海町へと乗り込んでくださったみなさん。
メールや掲示板を通して、
応援メッセージを送ってくださったみなさん。
コンサート終演後に、
数々の感想をくださったみなさん。

まだまだ書ききれないほどの受け付け、送迎、食事、宿泊etc...
そしておそらく、
ぼくが知らないところでも、
このコンサートにかかわってくださったすべてのみなさんに、
心から感謝しています。
本当にありがとうございましたッ!

ともに東京で、準備を重ねたスタッフ、
そしてミュージシャンのふたりにも、
心からありがとうッ!


今回、プロジェクトの実施が決まってから、
短い時間だったけど、
本当にたくさんのことを感じながら準備をし、
本番を過ごすことができました。

正直、それらは、
東京に帰ってきて4日経った今でも、
まだちゃんと言葉にできなくて、
胸の中のあちこちで、
ざわざわと動き回っています。

そんななかで言えるのは、
今回の経験を通して感じたたくさんの想いや様々な反省、
そしてなにより、こうして別海高校のみんなや、
たくさんの、
本当にたくさんのみなさんの想いに触れられたということは、
これから自分を成長させていく上で、
とても大きな意味を持ってくるだろうということ。

そんな風に、
今回の経験をちゃんと力に変えていくためには、
これからの過ごし方が、
本当に大切になってくるということ。


今回の活動を通して、
見つめ直せた・・・というよりむしろ、
あらためて突きつけられた自分を受け止めながら、
これからも、未来に向かい、歌っていきたいと思っています。


みなさんと過ごすことができた時間、
決して忘れません。

もう一度、ありがとうございます!
感謝を込めて。


ーーーー

演奏曲目

1. デリバリー
2. 一番好きな言葉
3. 魔法の白い羽根
4. Feel The Truth!
5. ぼくの声が
6. 毎日が歌ってる
7. バラ色の薔薇
?アンコール?
1. ぼくにはきみがいる

with 中北裕子(Perc)・田口智治(P)

2005/03/20@北海道別海高校体育館?

最終リハ@東京が終了ッ!

今日は一日中、
何かとせわしなく、
この間報告したリハとは打って変わって、
ふたりのミュージシャンの奏でる音を聴きながら、
自分のパートを演奏するのがやっとって状況の中でのリハだった。

そんな怒涛のリハ&打ち合わせを終え、
部屋に戻って上着を脱いだ時、
不意に「ひとりじゃないんだなぁ」って思った。

そうなんだよなぁ。
予想すらしていなかったトラブルが勃発して、
どうしていいかわからずに、途方に暮れることがあっても、
疲れすぎて、
言葉が出てこないような状況になったとしても、
ぼくは一度も「ひとりだ」って感じたことはなかった。

今この文章を書いている間にも、
ふたりのMプロスタッフから、
ひっきりなしに連絡が飛び込んでくるし、
東京だけでなく、
別海町でも、
本当にたくさんの人たちが、
コンサート成功に向けて走り回ってくれてるんだと思う。

「ぼくはひとりじゃない」
そう思えるだけで、
どれだけ救われていることか。


明日はいよいよ北海道に飛ぶことになっているので、
このブログの更新は、
来週ってことになってしまうけど、
次の更新の時は、
別海で感じたいろんなことについて、
思いっきり書きたいと思ってます。


その前に、
まずは3月20日、
別海高校体育館に集まったすべての人に、
そして自分自身に向けて、
その時できる精いっぱいで歌ってきます。

それでは行ってきます!

《北の大地歌声プロジェクトコンサート》に向けたリハが、
ついにはじまった。

まずは昨日の夜、
ピアノの田口さんとふたりで、
各曲の構成を確認するためのリハを、
ぼくの部屋ですることになっていた。

実は田口さんとは、
ライブがある度、
以前やったことのある曲を思い出してもらうために、
バンドでの全体リハをする前に、
今回のような時間を、
必ず取ってもらうようにしている。

ぼくらの間では、
このふたりでのセッションのことを、
リハ(ーサル)ではなく、
リハ(ビリ)なんて呼んでたりもするんだけど。


数日前までひいてた風邪からも復活し、
元気に登場した田口さんは、
ぼくの部屋に入ってくるなり、
「いやぁ、こないだは、リハすっ飛ばしちゃってごめんね。
買ってきたからこれ飲んで」と、
いきなり数本の缶ビールが入った袋を差し出した。

「やっぱ一番よろこんでもらえるの、
これだと思ってさッ」と笑う田口さんに苦笑しつつ。
さっそくリハへと突入すると、
これがもう、
たのしいのなんのって。


大きく深く呼吸しているような、
ピアノの音色に包まれて、
ギターやヴァイオリンを弾きながら歌っていたら、
すでにもう、
別海高校体育館で、
演奏しているような心持ちになってきた。

自分の声も、
楽器の音も、
あの体育館独特の響きの中にいるようで、
こんなにありありと、
当日の開場の雰囲気や、
そこでの高揚缶を感じながら歌えるなんて、
そうめったにはないことだ。


リハの合間には、
ぼくが以前、別海に行った時の話で盛り上がったり、
歌声プロジェクトのみんなと合うことを、
田口さんがどれだけたのしみにしてるのかということも、
あらためて聞かせてもらえたりもした。

ちなみに、リハに集中するために、
缶ビールにはいっさい手はつけてませんので念のためッ♪


15日には、
パーカッションのYukoも加わった、
全体リハ(ーサル)がスタートする。
彼女のたたき出すリズムは、
きっとさらなる爆発力も与えてくれそうで、
今からとてもたのしみだ。


来週の今頃は、
すでに別海高校体育館で、
サウンドチェックをしている頃だ。

そこではぼくら3人に加え、
ギター*3、ドラムとベース、
さらには6人の大太鼓を演奏する別海高校生からなる、
《北の大地バンド》との共演の予定も組まれている。

彼らといっしょにやる曲については、
《演奏ガイド》も録音し、
それを聴いた彼らも、
別海でリハ(ーサル)に入っているはずだ。


今日の午前中には、
別海に飛んでくためのチケットが、届いたという連絡も、
鈴木さんからもらっている。

東京で準備できるのも、
あと一週間弱。
やり残しのないように、
またまた準備に戻ります!

「また別海で歌ってください」という、
最初の連絡
をもらってから約一ヶ月経った頃、
やはり別海高校に通っている女の子から、
一通のメールが届いた。

その中には、
以前、学校に行けない時期があったこと。
唯一の支えだった部活でも、数々の問題が勃発してしまったこと。
そして「一度行ったら、また不登校になってしまいそう」という理由で、
入学の時から守っていた、
「保健室に行かない」という決意を、
ついに崩してしまったこと。
そんな時に知った《歌声プロジェクト》に、
「自分を返られるかもしれない」という気持ちから、
勇気を出して参加しようと思っているということなどが書かれていた。

コンサート開催への大きな期待や、
プロジェクトに対する熱い想いが、
とてもまっすぐ響いてきたこのメールをもらった時は、
本当にうれしかった。


でもぼくは、
すぐに彼女に返事をすることができなかった。

この時期はまだ、
コンサートが開催できるかどうかはおろか、
当事のプロジェクトがどのような形態で、
どんな活動をしているのかについても、
ちゃんと把握できてさえいなかったからだ。


ぼくが書きたかった返事は、
「想いは充分響いてきました。
ぼくもまた、別海で歌いたいって気持ちでいます。
実現したらいいですよね」なんてものではなくて、
コンサート本番に向けて、
北海道と東京で、それぞれ動いている中で、
起こった出来事や、
感じた色々についてだったから。


それから約一ヶ月経って、
「3月20日開催決定」
を知らせる連絡が入った。

これでずっと気になっていた彼女への返事も、
やっと書けそうだとよろこんでいたのもつかの間、
今度は、
「実は今までに、
途中でプロジェクトを離れてしまったメンバーも、何人かいるんです」
という話が伝わってきた。

この間、彼女から、
二通目のメールが届くことはなかった。


「あの時熱い想いをぶつけてくれた彼女は、
今でもプロジェクトに残って活動してるのかなぁ」

そう思っていた時、
掲示板
の書き込みの中に、
彼女の名前を見つけた。

何よりうれしかったのは、
あの時のメールにつづられていた《想い》を、
自分の力で《行動》に移し、
そこからいろんなことを感じてるのが、
手に取るように伝わってきたこと。

さらには、そんな彼女のように、
それぞれの《想い》を抱きながら、
どんどんプロジェクトに集まってきた人たちが、
ひとつの《流れ》を作っている様子まで、
教えてもらえたっていうことだった。


掲示板には、彼女以外のプロジェクトのみなさんからも、
いろんな活動報告が寄せられていて、
そんなひとつひとつを、
うちのパソコン君が読み上げる度、
本当にうれしくなる。

きっと今の別海には、
書き込みこそしてないけど、
コンサート当日に向けて、
様々な想いをかかえながら、
精いっぱい動いてくれている人たちが、
たくさんたくさんいるんだよなって、
そして今日も、
新たにプロジェクトに加わってる人がいるんだろうってことを、
とてもリアルに感じられる。

またさらに、
みんなに会えることが、
本番当日がたのしみになってきたッ♪


ぼくらの方も、
本番に向けて、
まさに《ラストスパート》に入ったところだ。

当日の演奏曲目もついに決定ッ!
何度か延期を繰り返していたリハーサルも、
風邪から復活した、ピアノの田口さんとふたりで、
今晩スタートする!


引き続き、
このブログや
《前のめりッ》
で、進行状況を報告していくので、
たくさんの応援メッセージ、
どうぞよろしくお願いしますッ!

さっそくトラックバックをいくつかいただけて、
本当にうれしいですッ!
トラックバック先をクリックして、
そこに書かれた色々を見に行くこともたのしいし、
いやぁ、
ブログはじめてよかったッ!


昨日、鈴木さんもなんとか風邪から復活し、
インターネットラジオ《TARO-WAVE》

《可児市福祉芸術祭特大号》
もアップしましたッ☆

《福祉芸術祭》
後にいただいた感想メールも読みながら、
出会った人たち、
食べてきたおいしいものなんかの話も織り交ぜつつ展開させてます。
30分を超える番組となってしまいましたが、
ぜひ聴いてみてくださいッ!
感想メール
もいただけたらうれしいです。


そんなわけで、
昨日は久々に、
Mプロ3人顔を合わせたわけだけど、
今度はピアニスト、田口さんがダウンしてしまい、
今日からスタートするはずだった
《北の大地歌声プロジェクトコンサート》
のためのリハーサルが延期にッ★
ちなみに、もうひとりのメンバー、
パーカッション Yuko は、
いたって元気なご様子でしたッ♪


ほんと今、
風邪、大流行してるようですね。
街に出ると、あちこちでゴホゴホという声が聴こえてきて、
あまりにそれが近くの時など、
自分自身の息を、思わず止めたくなることもあるくらい。
みなさんくれぐれもおだいじにッ!


そうそう。
このエントリー
の中で、
「このブログでは、ぼくが写真を選んだりすることはないッ」
というようなことを書いたけど、
なんと、そんなぼくが撮った写真が、
《Mプロ!今日も前のめりッ》
にアップされたようです。

最近携帯をカメラつきのものに買い換えたので、
打ち合わせからの帰り道、
シャッターなんぞ押してみました。
興味のある方は、
ぜひアクセスしてみてくださいネッ☆

この一年も、
講演ライブという形で、
保育園も含め、
小学校から大学まで、
たくさんの学校におじゃましてきた。
 
そんなあちこちの学校でも、
今頃の季節には、
卒業式が催されてるんだろうなぁ。
 
 
ただ、自分が卒業式にのぞんだ時のことを想いかえしてみると、
決して晴れ晴れとした気持ちじゃなかったんだよなぁ。
「おめでとう」なんて言われても、
何がどうしてめでたいのか、
さっぱりわからなくて、
漠然とした不安ばかりを、
圧倒的に感じていたし。
 
この時感じた不安の大部分は、
きっと、新しく出会う人たちに対して、
抱いていたものだと思う。
 
今まで自分なりに築いてきた、
環境や関係を、
半ば、強制的にリセットされた先で、
一体どれだけのことができるのか。
 
卒業後の世界を、
《未来》だなんて言われると、
いかにも輝かしいもののようだけど、
とても、そんな風には、
感じられなかったよなぁ。
 
 
そんなぼくが、
《未来》を、心から、たのしみにできるようになったのは、
音楽活動をはじめてから。
しかも、講演ライブに取り組むようになった、この数年で、
その傾向は、ますます強くなった。
 
講演ライブって、
ほとんどの場合、
ぼくのことを、まったくしらない、
年齢層も、実に様々な人たちを前に、
時には、予想すらしてなかった環境で、
歌い、おしゃべりすることになる場所で。
ある意味、
新しい学校で、
ゼロからコミュニケーションしていく感じと似てると思う。
 
今までの自分が、
どこまで通用するのかも、
まるっきりわからない状況から、
ひとつの空間を作っていく作業は、
毎回やっぱり不安でもあり、
とっても大変なんだけど、
ライブ参加してくれた人たちと、
「出会えたッ」って感じられた時の、
あの、うれしさや充実感は、
それこそ、何ものにも、換えがたいものがある。
 
 
先週おじゃました、
愛知県岡崎市の中学校では、
MCの合間に、
思わず笑ってしまったぼくを観て、
客席からも、
笑い声が聴こえてくるってことが何度もあった。

その笑い声を聴いただけで、
ぼくはとても自由になれた。
 
それこそ、通いはじめた教室の中で、
はじめてクラスメートと言葉を交わし、
自分の居場所をちょっぴり見つけられた時のような、
おだやかで、
肯定的な空気の中にいる感じ。
 
今目の前にいる人と、
「出会えたッ」って感じるのは、
まさに、こんな瞬間だ。
 
笑い声や拍手、
感想メールを通して感じる《出会い》こそ、
活動を続けていける、
一番の原動力だ。
 
 
4日前、
みんなの笑い声や、
拍手が響いた体育館では、
今日、卒業式が催されたはず。
 
別海や丸亀から、
熱い感想メールをくれたみんなの進路も、
そろそろ決まってきてる頃かなぁ。
 
卒業を迎えたみんなの中には、
昔のぼくのように、
未来への期待より、
不安の方が、
ずっと大きいなんて人たちもいると思う。
 
でも、今のぼくは、
そんな、不安の中にいる人たちもひっくるめて、
卒業を迎えたすべての人に、
心から、
「おめでとうッ」と言いたい。
 
だって、これから飛び込むことになる、
広い広い世界には、
たくさんの《出会い》が待っていて、
そんな出会いを通して、
今まで感じることのなかった、
本当に様々な可能性にも、
気づくことができると思うから。
 
 
出会いがある限り、
未来はどこまでも広がっていくんだと、
今のぼくは心から信じている。
 
 
そんな出会いを、
あちこちで経験したみんなと再会できる、
《未来》を、
ものすごくたのしみにしてるからネッ!

急な発表となってしまうけど、
きたる3月20日、
別海高校『歌声プロジェクト』が
再び、実現することになった。

2003年3月19日、
「自分達の手で、感動できる何かを作り上げたい」と、
高校生から届いた一通のメールをきっかけに開かれた、
《北海道別海高校歌声プロジェクトコンサート》。

前回は《歌声プロジェクト》の過程をホームページで公開し、
また、テレビでドキュメンタリーが放映されたこともあり、
全国のみなさんから、
大変な反響をいただいた。

ぼくにとっても本当にたくさんの、
貴重な経験をさせてもらうことができた、このコンサートの最後に、
ステージの上からみんなに向かって、こう言ったのを覚えている。

「またぜひ別海で歌いたいと思います!
でもその時は、
今回を上回るライブがやれるってことを、
絶対条件にしたいです。
ぼくも東京で、
そうできるようにがんばるので、
みなさんも、
今回を上回るって確信が持てた時、
ぜひまた声をかけてください」

あれから2年。
プロジェクトの中心だった生徒のみんなは卒業し、
今でもたまに、
掲示板やメールに近況報告をしたためてくれている。

逆を言えば、
あのコンサートに参加してくれた別海高生徒も、
当事1年生だったみんなだけとなったってわけだ。

そんな中のひとり、
現在3年生になった男子生徒から、
「また別海で歌ってください」
というメールをもらったのは、
去年のクリスマスの頃だった。

ただしそのメールは、
《歌声プロジェクトメンバー》のひとりとしてではなく、
《彼個人の想い》で送信されたものだった。

「卒業まで、もう時間はないけれど、
今からプロジェクトを立ち上げて、
絶対あの時を上回るものにしてみせます」
メールには、
そう書かれていた。

正直、気持ちはかなりゆれた。
彼が卒業する3月までということになると、
準備に使える時間は圧倒的に少ないし、
おまけに様々な決め事について、
今すぐにでも話し合っていかなければならないことは山積みだ。
それなのに、彼のいうプロジェクトは、
まだ産声すら上げていない。

そんな中、
ぼくのなかに生まれたひとつの思い。
《あの時を上回るコンサート》って、
一体どんなものなんだろう。

2年前、
自分で口にしておきながら、
その言葉の意味を、
今回彼から突きつけられた気がした。

コンサートの規模や、入場者数さえ上回ることができれば、
《前回を超えた》と言えるのだろうか。
それともとにかく、
スタッフだけでも大勢集まりさえすれば...。
どちらもまったく違うと感じた。


そうやってあれこれ考えて、
Mプロスタッフとも何度も話し合った結果、
たどり着いた結論は、
《今の自分たちにできる最高の演奏をする》
ということだけを、
とにかく心がけていこうというものだった。

準備期間が短かろうが、
プロジェクトに一抹の不安を感じていようが、
それを目指し、
達成することだけが、《あの時を越える》ことなんじゃないかって。

そう考えたら、
彼からの申し出を断る迷いはなくなった。

とはいえ、
実現するためのハードルは数え切れない。


彼からのメールには、

ーーーー
まだ今の段階では、
実現できるかどうかはわからないけれど、
また別海にはおじゃましたいという気持ちでいます。
プロジェクトメンバーを集め、
コンサートの詳細を決定してください。
これからの展開をたのしみにしています
ーーーー

という内容の返事を送信した。


そこから先は、
案の定、
大変な道のりだった。

とにかく限られた時間の中で、
各方面との連絡や調整をはじめ、
その時点でできる限りの、
あらゆる可能性をさぐりつつ、
Mプロでも何度も何度も話し合いを持った。

そうやって過ごす毎日の中では、
かなり気をもむこともしょっちゅうだったし、
正直「3月中の開催は、もう無理なのかもしれないな」と思ったことだってあった。

ある時など、あまりにいらいらしていたため、
感情的なメールを、
プロジェクトに送りつけてしまいそうにもなった。

ちょうどそんな時、
別海高校の生徒のみんなだけでなく、
別海町の大人の有志も加わった、
《北の大地歌声プロジェクト》から、
「3月20日開催でお願いします!」という連絡が届いた。

すぐさまミュージシャンと連絡を取り、
スケジュールを確保。
開催に向けた様々な段取りを大急ぎで整え、
みなさんに発表できるところまでこぎつけたのが、
本番わずか2週間前の今日だったってわけだ。


前回ホームページでは、
《北海道別海高校歌声プロジェクトとの日々》というコンテンツを立ち上げ、
コンサート開催までの様子を、大々的に公開し、
そこから多くのみなさんの、
あたたかい応援やメッセージをいただくことができた。

前回の「歌声プロジェクト」を知るみなさんのなかには、
今でも強い思い入れを持って、 
次回開催をずっとたのしみにしていてくれた人もいると思う。

ただ、今回は、
本番まで、圧倒的に時間がないことや、
ぼく自身、とにかく演奏に集中したい気持ちもあって、
《歌声プロジェクトとの日々2》のようなコンテンツを立ち上げたり、
現地までのツアーを組んだりする余裕がまったくなくて、
本当にごめんなさい。

別海からの情報によると、
コンサートが開催される日曜日は、
町内を走るバスは運行されないそうで、
空港やホテルから、会場となる別海高校までの交通は、
タクシーを利用してもらうことになってしまいます。

さらに、ホームページ管理人鈴木さん情報によると、
開催時期がちょうど3連休とぶつかるため、
北海道に向かうツアーは、
どれもかなりの高額らしいんだけど、
「それでも自力でたどり着くッ!」
と言ってくれるたのもしいみなさんは、
《最新ニュース》にあるコンサート詳細もご参照の上、
どうぞご検討くださいッ☆


《最高のコンサート》を作り上げるため、
北海道と東京で、
本番に向けて動いているぼくらのことを、
応援してもらえたなら、
とても心強いです。

コンサート当日までの課程については、
もちろんこのブログの中で、
ちょくちょく報告していくつもりです。


ここから本番に向けての2週間、
今まで以上の力とスピードで、
いろんなことを進めていかなくちゃいけないけど、
今回のコンサートを通して、
《いい演奏》って一体どんなものなのか、
それを実現させるために、
何が必要なのかってことを、
あらためて感じ、
そして学ぶことができそうで、
今からとてもたのしみです。

さぁ、それじゃ準備に戻るかなッ☆

今回の歌声プロジェクトは、
前回のように「別海ライブ参加ツアー」をこちらで手配することはできませんが、
現在管理人鈴木さんがツアー情報や現地での移動手段などを調べてくれています。
情報が集まり次第最新ニュースのコーナーにアップされると思いますので、
参加を検討される方は参考にしてください。

いやぁ、ほんとに降りましたねぇ。雪ッ★

朝目が覚めて、
ベッドから出た時は、
そんなに寒いって感じなかったから、
「こんなんで、ほんとに積もってるのかッ?!」と思ってたけど、
実際外に出てみたら、
予想以上の銀世界ッ♪
でもやっぱり、
そんなに寒くはないんだよなぁ。

ぼくが今まで経験した、
最高(最低?!)に寒い瞬間は、
2002年のクリスマスイブの朝、
福島駅に降り立った時だ。

その前の日から、
《ラジオチャリティーミュージックソン》の企画で、
森山直太朗君といっしょに、
札幌、青森、盛岡と周ってきて、
「ここからいよいよ南下だぜッ」って、
気を緩めていた矢先の出来事。

改札口に向かうエスカレーターのベルトをさわっただけなのに、
指が凍りつくんじゃないかと本気で思ったくらい、
あの時はとてつもなく寒かった。

それに比べたら、
今朝なんてあったかいもんだ。

とはいえ東京の雪。
ちょっとつもっただけでも、
交通は大混乱ッ★
今夜はインターネットラジオ、
《TAro-wave》の《可児市特大号》を収録する予定だったので、
ふたりのMプロスタッフの足についても、
ちょっと心配になってきた。

なので録音までの段取りについて、
あれこれ考えていたら、
管理人すずきさんからの電話を知らせる着メロが鳴り出した。

「も、もしもしゴホッ」
す、すごい声ッ!
しゃべろうとしてるのに、
咳がこみ上げてきちゃうような、
そんな鈴木さんと話すのははじめてだ。
「ブッ、ブログの文字の背景色つけるのに、
3時間かかっちゃってさぁゴホホッ、
か、風邪ひいちゃっゴホッ★」
「さッ、3時間ッ?!」
「もちろんウソッゴホッ★」

彼との電話を切って、
すぐさまマネージャー☆ナカジマに電話。
「今日雪すごいから、鈴木さんにナカジマピックアップしてもらって、
うちでラジオ録ればいいんじゃないかと思ってたけど、
こりゃ中止せざるを得ないよねぇ」というぼくに、
「雪でも収録できるように、
前向きに段取り考えてくれるのはいいけど、
ほんっと遠慮なく人を使うよねぇ」と苦笑するナカジマ。
「だってさぁ、
足さえ確保すれば、
収録できるんだよッ!
そりゃ動いていただきますってッ♪」と応戦するも、
今夜の収録&アップはなくなりました。

あらためて、
月曜日に集まることにしているので、
可児市のみなさんはじめ、
放送をたのしみにしてくれているみなさん、
もうちょっと待っててくださいネッ☆

たまたま読んでたインターネットニュースの中に、
ブログについて書かれた文章を見つけた時、
ぼくは「これだッ」とかなり興奮した。

以前から、
日々の活動だけでなく、
出会った人たちのことや、
そこで感じた色々、
さらには、もっとくっだらないことなんかについても、
ホームページに書き残していきたいと思っていたからだ。

これなら、むずかしい知識を知らなくても、
というか、
覚える気なんてなくっても、
ホームページ管理人、鈴木さんの手をいちいちわずらわせることもなく、
ぼくにもかなり簡単に更新できるみたいだし、
なんといってもトラックバックッ☆
これが《ちゃんと》機能したら、
今まで以上にいろんな人たちともつながっていける、可能性だってあるわけだッ♪


ということで、
さっそく「ブログ立ち上げたいッ」と鈴木さんに持ちかけたのが、去年の秋のこと。
その数日後には、
「あとは太郎君が好きな文章を書き込みさえすれば、いつでも立ち上げオッケーです」
という連絡ももらっていた。

それなのに、
日々の忙しさに追われ、
立ち上げはここまでずれ込んでしまった。

な?んて、
ほんとはいざ、文章を書こうとすると、
あれこれ考えすぎちゃって、
なかなか筆がすすまなかった、っていうのが正直なところなんだけど。

てなわけで、
まだまだ当分は、試行錯誤の最中なので、
失敗も積み重ねつつ、
とにかく続けていくことを、
まずは心がけたいと思ってますッ♪

そんな《続けていくための原動力》って、
みなさんが感じた色々を、
教えてもらえることなので、
このブログに対するご意見やご感想も、
メール

掲示板
でいただけたら、
とても心強いですッ☆
もちろんトラックバックもネッ!


実はこのひとつ前の文章をアップした時、
投稿者の名前が、
なぜだかどうしても、
ホームページ管理人のすずきさん名義になっちゃって、
そこにぼくの名前を表示させるためだけに
約2時間も費やしてしまったッ★

おかげで翌日は、かなりの寝不足にもなったけど、
せっかく鈴木さんの手を煩わせずに、
更新できるコンテンツなんだから、
ここはひとつ、
なるべく独力で、
且つ頻繁に、
更新していくことも、
ついでながら宣言しちゃいますッ♪(笑)

そんな宣言の手はじめとして、
悪戦苦闘の末、
自力でブログにリンクを貼ったところ、
鈴木さんからさっそく

ーーーー
それにしても、
ブログにリンク貼る方法良くわかったねぇ。
ーーーー
というメールが届いた。

ーーーー
ふっふっふッ♪
日々勉強あるのみッ♪(笑)
なんてネッ☆
やっぱり自分でできるとうれしいもんだよねぇ。
ーーーー

こんな書き出しとともに、
さらに高度なブログテクについて質問したところ、
さっそく届いた解答メールッ♪
その文末には、

ーーーー
そこまでできたら立派なホームページの管理人できますね。
鈴木浩克オフィシャルホームページの管理人やってください。
ーーーー

という申し出がッ☆
すっかり調子に乗ったぼくは、
こんなメールを送信した。

ーーーー
増田太郎オフィシャルホームページ管理人すずき様

お申し出いただきました、
鈴木浩克オフィシャルホームページ管理人
つつしんで、引き受けさせていただきますッ☆
ただしッ!
きみにどんなこだわりがあろうとも、
ホームページ内に掲載する写真選定と、
そのレイアウトだけは、
ぼくは絶対ゆずりませんので、
そこんとこよろしくッ(笑)
ーーーー


残念ながら、このブログでは、
ぼくが選んだ写真の掲載予定はないけれど、
みなさんこれから末永く、
ひとつよろしくお願いしますッ☆

TBSのNY支局長、松原耕二さんが、
ほぼ日刊糸井新聞
に連載しているコラム、
《ぼくは見ておこう》の中に、
44歳の死
という、
作家、野沢尚さんの自殺について書いた文章があって、
今朝それを、一気に読破してしまった。


このコラム、
思わずマネージャー☆ナカジマにも紹介したら、
速攻かえってきたメールが、
これまたかなりおもしろかった。

ーーーーー
もしかして、野沢さんのなかには、
「自分をわかってほしい」という思いと
「他人にわかるわけない」っていうプライドにも近い思いと
両方が同居してたのかも。
ーーーーーーー
《野沢さんの中にあるふたつの想い》
これ、すんごく鋭いとこ突いてると思った。
まさにそうだったのかもしれないなって。

《映画にならなきゃ紙くず同然》という脚本を書きつづけ、
たどり着いたテレビの世界でも、観客の顔は一切見えず、
《視聴率》という《見えない力》と対峙することになって...。

そんな状況に加えて、
《ふたつの想い》の間でも、ゆれてたとしたら、
たとえどんなに名誉ある仕事の最中だったとしても、
相当キツいだろうなぁ。

そういう意味では、
お客さんと向き合って展開させていける《ライブ》って、
とってもしあわせな表現方法だよなって思った。

演奏後にもらった拍手や、
届いた感想の数々を読んでいて感じるのは、
「自分をわかってもらえたッ」というよりも、
「さらに相手を感じることができたッ」という喜び。
あの、えもいわれぬ幸福感。
これこそが、
ライブを続けていくための原動力そのものだ。


それで思い出したのは、
前にダウンタウンの松本人志さんが言ってた、
「オレらを見に来てくれてるってことがわかり切ってるライブという形態じゃなくて、

つまんなきゃさっさとチャンネルを変えられちゃうテレビの中で、
どれだけ天下取っていけるのかってことにしか興味がない」って言葉。

きっと彼は、
今のぼくには想像もできないような、
もんのすご?く長い棒をかつぎながら、
その両端にぶら下がる、
《自分》と《受け手》のバランスを、
取るってことをやろうとしてるんじゃないのかなって思った。
「自分もそこに到達したい」なんてこと、
今はぜんぜん思ってはいないけど、
まったくすごい境地だよなぁ。


それから松原さんのコラム文末にあったこの言葉、

ーーーー
私はそれまで自殺の報に接するたび、
「なにも死ななくても...」という思いを
拭い去れなかった。
だが野沢さんの死に接し、
こんなふうに考えるようになった。
「人は死ぬよりほかないときも、
あるのかもしれない」と。
ーーーー

これってまさに、
知り合いの自殺という事実とはじめて直面することになった時、
ぼくが感じたこととまるっきりいっしょだった。

もちろん自殺を容認するつもりなんて、
これっぽっちもないけれど、
あの時確かに、
《その人》の人生までは、
誰にも否定することなんてできないということを、
あらためて強く感じたんだよなぁ。


インターネットラジオ《TARO-WAVE》の、
2005年最初の放送
で、《視力回復》を今年の目標にかかげたワタクシといたしましては、
「どこに、誰に向かってるのかわからないッ」って状況に陥らないためにも、
やはり相手、そして自分を《観る目》というものを、
もっともっと養っていきたいと、あらためて思った、今朝の出来事でした。

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