ここ
でも書いた、
石垣島出身のなみいおばあこと、
新城浪(あらしろなみ)さんの歌を、
ふたたび聴いてきた。
会場となったのは、
東中野ポレポレ座。
本橋成一監督が、
約2年にわたって撮り続けた映画、
《なみいと唄えば》
が、ついに完成し、
その公開を記念して催されたライブだった。
この日のなみいは風邪をひいていて、
体調、けっこう悪かったと思う。
でも、なみいは、
そんなコンディションを、
正面から、突破しようとしているようにみえた。
声がかすれようが、
三線を爪弾く指がもつれようが、
決して守りに入ることなく、
目の前にいるお客さんに向けて、
思い切り声をしぼり出し、
次から次へと、ただ、ひたすらに歌いまくる。
この姿勢を貫くためには、
ある意味、たくさんのものを捨てなくちゃならないとも思うけど、
それでも、歌い続けること。
それだけはやめないなみいからは、
いさぎよさと覚悟を感じたなぁ。
立ち見まで出た会場のみんなも、
そんななみいに向かって手をたたき、
指笛や歌声で応えていた。
終演後、映画関係者のみなさんの出席する、
打ち上げにも出させてもらったんだけど、
そこで聴いた、なみいの生三線はすごかった。
マイクを通さず、
空気をふるわせる三線の音は、
まさに《音程つき打楽器》といった感じで、
まっすぐ胸に飛び込んでくる。
彼女がかかえている三線は、
9歳の時から、
ずっと弾き続けてきたものだそうだ。
お座敷に身売りされた9歳の頃、
きっとまだ、糸を押さえるのもおぼつかなかったなみいのちいさな指は、
沖縄民謡から歌謡曲まで、
ありとあらゆる歌を吸収しながら成長し、
その時代とともに、
様々な場面で、
たくさんの人によりそってきたんだろう。
お座敷で、陽気に奏でる恋の歌。
ひとりきりの、浜辺でつむぐ、望郷の歌。
そんなすべてを、
なみいとともに旅しながら、
彼女に抱かれて聴いてきたのが、
この三線ってことになる。
そんな、人と楽器の結びつきを想う時、
今、目の前で歌われる歌が、
さらに特別なものに感じられて、
この場所にいられることを、
本当に光栄だと思った。
帰り際、
彼女とはじめて握手した。
ずっとひとつのことを、
やり続けてきたその手は、
とてもやさしく、やわらかく、
ぼくの手を握ってくれた。
この感覚、
ぼくが世界で一番尊敬している、
大好きなジャズヴァイオリニスト、
ステファン・グラッペリーと握手した時に感じたものと、
よく似ていた。
そしてぼくは、
もうひとつ、
彼女にお願いをした。
「左手をさわらせてください」
80年近く、
三線の糸を押さえ続けてきたその指先は、
一体どんな風になっているんだろう。
「はい。左手ね」
微笑みながら、差し出してくれたその指先は、
びっくりするくらい、
やわらかいものだった。
なみいはヒャクハタチ(百二十歳)まで、
歌って生きるつもりだという。
「今から35年後のその日まで、
ぼくも歌い続けていられるかなぁ」
一瞬、そんなことを考えたけど、
きっとなみいは、
今、目の前にいる人に向かって、
ひたすら歌い続けていたら、
85歳になってたっていう感じなんだろうなぁ。
ぼくもそんな風に、
歌い続けていきたいと、
あらためて感じた、
なみいおばあの歌と三線だった。
晴れて、なみいがヒャクハタチを迎えたら、
もう一度、
左手さわらせてほしいなぁ。
100年以上、
糸を押さえ続けてきたその指も、
やっぱりやわらかいのかなぁ。
でも書いた、
石垣島出身のなみいおばあこと、
新城浪(あらしろなみ)さんの歌を、
ふたたび聴いてきた。
会場となったのは、
東中野ポレポレ座。
本橋成一監督が、
約2年にわたって撮り続けた映画、
《なみいと唄えば》
が、ついに完成し、
その公開を記念して催されたライブだった。
この日のなみいは風邪をひいていて、
体調、けっこう悪かったと思う。
でも、なみいは、
そんなコンディションを、
正面から、突破しようとしているようにみえた。
声がかすれようが、
三線を爪弾く指がもつれようが、
決して守りに入ることなく、
目の前にいるお客さんに向けて、
思い切り声をしぼり出し、
次から次へと、ただ、ひたすらに歌いまくる。
この姿勢を貫くためには、
ある意味、たくさんのものを捨てなくちゃならないとも思うけど、
それでも、歌い続けること。
それだけはやめないなみいからは、
いさぎよさと覚悟を感じたなぁ。
立ち見まで出た会場のみんなも、
そんななみいに向かって手をたたき、
指笛や歌声で応えていた。
終演後、映画関係者のみなさんの出席する、
打ち上げにも出させてもらったんだけど、
そこで聴いた、なみいの生三線はすごかった。
マイクを通さず、
空気をふるわせる三線の音は、
まさに《音程つき打楽器》といった感じで、
まっすぐ胸に飛び込んでくる。
彼女がかかえている三線は、
9歳の時から、
ずっと弾き続けてきたものだそうだ。
お座敷に身売りされた9歳の頃、
きっとまだ、糸を押さえるのもおぼつかなかったなみいのちいさな指は、
沖縄民謡から歌謡曲まで、
ありとあらゆる歌を吸収しながら成長し、
その時代とともに、
様々な場面で、
たくさんの人によりそってきたんだろう。
お座敷で、陽気に奏でる恋の歌。
ひとりきりの、浜辺でつむぐ、望郷の歌。
そんなすべてを、
なみいとともに旅しながら、
彼女に抱かれて聴いてきたのが、
この三線ってことになる。
そんな、人と楽器の結びつきを想う時、
今、目の前で歌われる歌が、
さらに特別なものに感じられて、
この場所にいられることを、
本当に光栄だと思った。
帰り際、
彼女とはじめて握手した。
ずっとひとつのことを、
やり続けてきたその手は、
とてもやさしく、やわらかく、
ぼくの手を握ってくれた。
この感覚、
ぼくが世界で一番尊敬している、
大好きなジャズヴァイオリニスト、
ステファン・グラッペリーと握手した時に感じたものと、
よく似ていた。
そしてぼくは、
もうひとつ、
彼女にお願いをした。
「左手をさわらせてください」
80年近く、
三線の糸を押さえ続けてきたその指先は、
一体どんな風になっているんだろう。
「はい。左手ね」
微笑みながら、差し出してくれたその指先は、
びっくりするくらい、
やわらかいものだった。
なみいはヒャクハタチ(百二十歳)まで、
歌って生きるつもりだという。
「今から35年後のその日まで、
ぼくも歌い続けていられるかなぁ」
一瞬、そんなことを考えたけど、
きっとなみいは、
今、目の前にいる人に向かって、
ひたすら歌い続けていたら、
85歳になってたっていう感じなんだろうなぁ。
ぼくもそんな風に、
歌い続けていきたいと、
あらためて感じた、
なみいおばあの歌と三線だった。
晴れて、なみいがヒャクハタチを迎えたら、
もう一度、
左手さわらせてほしいなぁ。
100年以上、
糸を押さえ続けてきたその指も、
やっぱりやわらかいのかなぁ。
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