《前のめりッ》
でも紹介されてるように、
今日は、友人でギタリストの杉山武さんの誕生日だ。
ぼくより5つ年上の彼を、
はじめて意識したのは、←くれぐれも誤解なきようにッ★
中学を卒業するかしないかって頃だった。
オーケストラのクラブでヴァイオリンを弾いていたぼくに、
「**がインドに行くっていうから、壮行会やるんだけど、
お前も来るか?」と、
トレーナーとして、教えに来てくれていた先輩から声がかかった。
「行きますッ」
ふたつ返事で先輩の後に続き、
校門を出て、向かったのは、
井の頭公園近くの飲み屋。
現役中学生のぼく以外、
すべての人が音大卒、
もしくは音大生という、
まさに刺激的な飲み会は、
それはそれはたのしいものだった。
宴もたけなわになってくると、
誰からともなく楽器をケースから取り出し、
はじまったのがブルースセッションだった。
フルートやトランペット、
それにホルンで、ソロを吹きまくる先輩達。
ファゴットで、ベースラインを吹いている人もいる。
「お前も弾けよッ」
そんな声があちこちから飛んできて、
ぼくもヴァイオリンのケースを開け、
生まれてはじめてのブルースセッションに加わった。
地下にある、
煙もくもくのお店で、
ビールを飲みながら、
無我夢中でヴァイオリン弾きまくったっけ。
周りのおとなたちは、
そんなぼくを、
たいそうおもしろがってくれて、
それが、とにかくうれしかった。
アドリブ、
アルコール、
煙、
他のテーブルに座っている、知らない人たちからの笑顔と拍手、
たまらなく自由で、
どこまでも開放的で、
でも、でたらめってわけじゃない。
この夜そこにあったすべてが、
ぼくにはあこがれだった。
そんなセッション中ずっと、
黙々とギターを弾いていたのが杉山武さんだった。
決して派手ではないんだけど、
独特のドライブ感で刻むリズム、
少ない音符の数ながら、
ものすごい存在感のソロ、
そんなギターを奏でる彼に、
ぼくは一発でやられてしまった。
だから数年後、
「いっしょにユニット組まないか?」と、
彼から誘いの電話がかかってきた時は、
まさに夢のようだった。
それからぼくらは、
《MISTRAL》というユニットを組んで、
あちこちで歌いはじめた。
《MISTRAL》では、
てっきりギターを弾かせてもらえるのかと思ったら、
「ギターふたりなんてユニットはどこにでもあるし、
そんなんじゃつまんないからヴァイオリン弾いたら」という一言で、
やむなくヴァイオリンに持ち替え、
「なんかさぁ、ひとりで歌ってても、
今イチつまんないんだよねぇ。
お前も歌えば」という投げかけに、
「ヴァイオリン弾きながらですかッ?!」と狼狽しながら返事をするも、
「そうだよ。
C-C-Bはドラム叩きながら歌ってるんだから、
ヴァイオリンだってできるでしょッ」という、
理屈が通ってるんだかいないんだかわからない、
大先輩からの一言。
それでも、ただただユニットを続けたい一心で、
必至に練習した《ヴァイオリンの弾き語り》。
おかげで、今のスタイルの原型ができあがったってわけだ。
そんな風に《MISTRAL》を続けていくうちに、
はじめは「杉山先輩」と、敬語を使って話していたぼくも、
だんだん生意気になってきて、
それに従って、
彼の呼び名も、「杉山くん」へ、
そしてついには「たけちゃん」へと変わっていった。
あこがれの大先輩を、
まさかこんな風に呼ぶ日がくるなんて、
あの頃のぼくには、
想像すらできなかった。
そんな《たけちゃん》と、
この間電話で話していたら、
ぼくがブルースセッションデビューしたお店が、
閉店してしまったことを聞かされた。
しょっちゅう通ってたわけじゃないし、
それどころか、
数えられる程度しか行ったことはないお店だったけど、
想い出の場所がなくなってしまったというのは、
やはりさみしい。
聞くところによると、
高田渡さん
も、よくこのお店にいらしていたそうだ。
向こうの飲み屋じゃ物足りなくて、
渡るさんが引き取りに来たのかな。
とここまで書いて、
たった今、
《衝撃的事実》を思い出したッ☆
《MISTRAL》を結成してしばらく経った頃、
「どうして声かけてくれたの?」と、
たけちゃんにたずねたことがあった。
「飲み会の時にさ、
ヴァイオリンで《踏み切りの音》出してたでしょ。
あれがおもしろいなと思って」
ぼくのブルース魂は、
彼には届いてなかったってことかッ?!
でも紹介されてるように、
今日は、友人でギタリストの杉山武さんの誕生日だ。
ぼくより5つ年上の彼を、
はじめて意識したのは、←くれぐれも誤解なきようにッ★
中学を卒業するかしないかって頃だった。
オーケストラのクラブでヴァイオリンを弾いていたぼくに、
「**がインドに行くっていうから、壮行会やるんだけど、
お前も来るか?」と、
トレーナーとして、教えに来てくれていた先輩から声がかかった。
「行きますッ」
ふたつ返事で先輩の後に続き、
校門を出て、向かったのは、
井の頭公園近くの飲み屋。
現役中学生のぼく以外、
すべての人が音大卒、
もしくは音大生という、
まさに刺激的な飲み会は、
それはそれはたのしいものだった。
宴もたけなわになってくると、
誰からともなく楽器をケースから取り出し、
はじまったのがブルースセッションだった。
フルートやトランペット、
それにホルンで、ソロを吹きまくる先輩達。
ファゴットで、ベースラインを吹いている人もいる。
「お前も弾けよッ」
そんな声があちこちから飛んできて、
ぼくもヴァイオリンのケースを開け、
生まれてはじめてのブルースセッションに加わった。
地下にある、
煙もくもくのお店で、
ビールを飲みながら、
無我夢中でヴァイオリン弾きまくったっけ。
周りのおとなたちは、
そんなぼくを、
たいそうおもしろがってくれて、
それが、とにかくうれしかった。
アドリブ、
アルコール、
煙、
他のテーブルに座っている、知らない人たちからの笑顔と拍手、
たまらなく自由で、
どこまでも開放的で、
でも、でたらめってわけじゃない。
この夜そこにあったすべてが、
ぼくにはあこがれだった。
そんなセッション中ずっと、
黙々とギターを弾いていたのが杉山武さんだった。
決して派手ではないんだけど、
独特のドライブ感で刻むリズム、
少ない音符の数ながら、
ものすごい存在感のソロ、
そんなギターを奏でる彼に、
ぼくは一発でやられてしまった。
だから数年後、
「いっしょにユニット組まないか?」と、
彼から誘いの電話がかかってきた時は、
まさに夢のようだった。
それからぼくらは、
《MISTRAL》というユニットを組んで、
あちこちで歌いはじめた。
《MISTRAL》では、
てっきりギターを弾かせてもらえるのかと思ったら、
「ギターふたりなんてユニットはどこにでもあるし、
そんなんじゃつまんないからヴァイオリン弾いたら」という一言で、
やむなくヴァイオリンに持ち替え、
「なんかさぁ、ひとりで歌ってても、
今イチつまんないんだよねぇ。
お前も歌えば」という投げかけに、
「ヴァイオリン弾きながらですかッ?!」と狼狽しながら返事をするも、
「そうだよ。
C-C-Bはドラム叩きながら歌ってるんだから、
ヴァイオリンだってできるでしょッ」という、
理屈が通ってるんだかいないんだかわからない、
大先輩からの一言。
それでも、ただただユニットを続けたい一心で、
必至に練習した《ヴァイオリンの弾き語り》。
おかげで、今のスタイルの原型ができあがったってわけだ。
そんな風に《MISTRAL》を続けていくうちに、
はじめは「杉山先輩」と、敬語を使って話していたぼくも、
だんだん生意気になってきて、
それに従って、
彼の呼び名も、「杉山くん」へ、
そしてついには「たけちゃん」へと変わっていった。
あこがれの大先輩を、
まさかこんな風に呼ぶ日がくるなんて、
あの頃のぼくには、
想像すらできなかった。
そんな《たけちゃん》と、
この間電話で話していたら、
ぼくがブルースセッションデビューしたお店が、
閉店してしまったことを聞かされた。
しょっちゅう通ってたわけじゃないし、
それどころか、
数えられる程度しか行ったことはないお店だったけど、
想い出の場所がなくなってしまったというのは、
やはりさみしい。
聞くところによると、
高田渡さん
も、よくこのお店にいらしていたそうだ。
向こうの飲み屋じゃ物足りなくて、
渡るさんが引き取りに来たのかな。
とここまで書いて、
たった今、
《衝撃的事実》を思い出したッ☆
《MISTRAL》を結成してしばらく経った頃、
「どうして声かけてくれたの?」と、
たけちゃんにたずねたことがあった。
「飲み会の時にさ、
ヴァイオリンで《踏み切りの音》出してたでしょ。
あれがおもしろいなと思って」
ぼくのブルース魂は、
彼には届いてなかったってことかッ?!