2005年5月アーカイブ

6月14日(火)
TBSラジオ《大沢悠里のゆうゆうワイド》へのゲスト出演と、
7月14日(木)
原宿《スパイラルカフェ》でのライブが決定しましたッ!

ふたつとも、
詳細が確定次第、
《最新ニュース》のコーナーに掲載します。

もちろん《増田太郎情報メール》でも送信させてもらいますので、
まだ登録してないみなさんは、
この機会に
こちらから
メールで登録してくださいッ♪

てなわけで、
まずはの速報でしたッ☆

おやすみッ♪

田口ランディさんのブログ
に、
《拍手がほしい》という文章がアップされていた。

ランディさんはそこで、
拍手のことを《無条件の肯定》だと書いている。

ぼくはこの言葉から、
9年半いっしょに歩いた、
アイメイト(盲導犬)のエルムを火葬した、
4年前のことを想い出した。

振り出した雨の中、
花に囲まれたエルムが寝かされている、
ダンボールでできた棺おけが乗った、手押し車を押しながら、
ぼくらは火葬場にやってきた。

あの独特の「ゴー」という音だけが響く建物で、
係のおじさんが、
これからエルムが入る、
重い扉を開く。

「ありがとう」という言葉とともに、
もう一度彼の毛並みを確かめて、
開かれた扉の向こうへと、
エルムを送り出した。

その扉が「ガチャン」と閉じられた瞬間、
ぼくは思いきり拍手していた。

「お前ならだいじょぶだ。
何も心配せず行ってこい」
今ひとり、
扉の向こうに吸い込まれていった彼に、
心の中でこう叫びながら、
思いっきり手を叩いた。

それまであれだけ泣きじゃくっていたのに、
エルムに拍手するぼくからは、
悲しさもさみしさも消えていた。
それどころか、
なんとも言えない誇らしさすら感じていた。

あの時のぼくは、
生まれ、生き尽くしたエルムのすべてに、
そして彼と出会い、
ともに生きてこられた自分自身に、
さらにはぼくらをはぐくんでくれた世界に対しても、
《無条件の肯定》を表現したくて、
夢中で手を叩いていたんだと思う。


知るひとぞ知ることだけど、
ぼくの拍手の音は異常にデカい。
観に行ったライブの客席で手を叩いたら、
いっしょに来ていた知り合いが恥ずかしそうにするくらい。

そんな拍手が突然火葬場に響いたわけだから、
家族をはじめとして、
この時居合わせた人たちは、
さぞかしおどろいたんじゃないかと思う。

でもきっと、
手を叩かずにはいられなかった、
ぼくの気持ちも響いてくれたから、
とがめることなく、
思う存分拍手することを許してくれたんだろう。
みんなの無言のはからい、
ありがたかった。


拍手というものを語る時、
多くの場合、
《される側》にスポットが当たっている。

でも《心からの拍手》が響く空間では、
《する側》にも、
とてもあたたかなエネルギーが満ちていくんだと思う。


《される側》として、
ライブで歌っていると、
拍手にも、
様々な表情があるんだなって感じることがしょっちゅうある。

ぼくは歌いながら、
お客さんの顔を眺めることはできないわけだけど、
時として、
拍手から、
言葉以上に豊かな表情を感じることがある。

それはもちろん笑顔だけじゃなくて、
「まだ固い顔してそうだな」とか、
「寝てたけど、
曲が終わったからとりあえず叩いてるな」とか。

そして今までに一度、
いただいた拍手で泣きそうになったことがある。

最後の曲を歌い終え、
何度も頭を下げながら舞台袖に下がっても、
鳴り止むことなく響く拍手。
《大歓声》というのとも違う、
深くてあたたかで、
力強い空気。
一生忘れない。


ライブ中、
客席のひとりひとりに向かって、
こちらから拍手したくなっちゃうなんてこともしょっちゅうだ。

だから増田太郎ライブの定番曲、
《ぼくの声が》を演奏し、
会場全体で「I love you」と大合唱した後には、
ぼくは必ずこう呼びかけることにしている。

素晴らしい演奏を響かせてくれた、
バンドのメンバーに大きな拍手をッ!
音響や照明、
様々な形でサポートしてくれた、
スタッフのみなさんに大きな拍手をッ!

そしてッ!
素晴らしいコーラスを響かせてくれた、
自分自身に大きな拍手をッ!!

そしてぼくも、
みんなといっしょに手を叩く。

客席もステージも、
会場全体が、
《無条件の肯定》に包まれる、
とてつもなくしあわせな瞬間。

この瞬間に包まれたくて、
ぼくは歌い続けている。

《前のめりッ》
でも速報(?!)されているとおり、
Mプロでヘッドフォンを新調した。

はじめは「3人同じ環境で聴けるように」と、
同機種でそろえるつもりだったんだけど、
「せっかくだから、タイプが違う3つで聴き比べてみようよ」という鈴木案を採用し、
メーカーも、国籍もバラバラな3つが届くことになった。

「ヘッドフォン到着」の報を受け、
さっそく3人で試聴会ッ♪

実際にひとつひとつ聴き比べてみると、
これがまた、
それぞれに違う味わいの音を奏でてくれるからおもしろい。

ぼくが気に入ったのは、
A社製のもの。
一番音圧があって、
どちらかといえば、
低音がよく響くタイプ。

一方鈴木さんは、
高音がよく延びる、
S社のものが気に入ったようだ。

このどちらも満たしてくれるタイプがあれば申し分ないんだけど、
そりゃちょっと高望みってもんだ。

ちなみに、残りのひとつはドイツ製で、
鈴木さんいわく、
「一番オーソドックスに響くタイプ」のもの。
聴いてみると確かにそのとおり、
どんな音楽も無難に再生してくれるんだけど、
なんかこう、
《おもしろみ》には、ちょっと欠けちゃうんだよねぇ。

つまりぼくらふたりが選んだのは、
どちらも《クセ者》ということになる。


こんな風に、
ヘッドフォンもそれぞれ個性的なんだけど、
その選び方にも、
それぞれのキャラがくっきり出ていておもしろかった。

ぼくはいわゆる《直感型》。
各々数秒聴き比べただけで、
「これッ」と即決。

一方鈴木さんは《じっくり型》。
流す音楽や音量も変えてみたりしつつ、
ひとつひとつ時間をかけて聴き込んで、
それを何順もくり返しながら選んでいく。

そしてそして、
マネージャー☆ナカジマからのリクエストはただひとつッ♪
「一番頭が締め付けられないヘッドフォンがいいッ」というものッ☆

確かにッ、
音質も大事だけど、
長時間聴き続けても疲れない、《装着感》も大切だよなぁ。


こんな風に、
ヘッドフォンも使用者も、
三者三様な中、
ぼくらの録音はまだまだ進行中なのでしたッ☆

P.S.
そんなヘッドフォンをかけながら、
インターネットラジオ《TARO-WAVE》
も、実に久々に更新しましたッ☆
感想メール
も待ってますッ♪

本日のスマトラチャリティーイベントに参加してくれたみなさん、
たのしい時間をありがとうございましたッ☆

ぼくのヴァイオリンの弓の毛だけでなく、
ギターの鈴木さんの弦も切れたり、
あげくの果てには、
パーカッションの裕ちゃんのシンバルが、
《おちょこ》のように反り返ったりッ☆
何より客席の盛り上りも感じながら、
とてもたのしく演奏することができましたッ♪

イベントの感想を、
メール

掲示板
にいただけたら、
とてもうれしいです。

それから「今回はじめて増田太郎とであったみなさんッ」と呼びかけたら、
けっこうたくさんの拍手が返ってきました。

今後の活動について、
もうすぐ新しい発表もできると思うので、
まだ《増田太郎情報メール》に登録してないというみなさんは、
この機会にぜひ、
《情報メール登録希望》のタイトルで、
メール送信してくださいッ☆

またみなさんと響き合える時をたのしみにしています。


今回のイベントにかかわったすべてのみなさん、
おつかれさまでした。
そしてどうもありがとう。

ーーーー

演奏曲目

1. 迎えにいくよ
2. あの星の友人
3. ぼくにはきみがいる
4. バラ色の薔薇

with 鈴木浩克(G) 中北裕子(Perc)
2005/05/07@下北沢アレイホール

石垣島の《ナミイおばあ》こと、
新城浪(あらしろ・なみ)さんの歌と三線を聴きに行った。

現在85歳のナミイは、
9歳で那覇の辻遊廓に身売りされて以来、
サイパン、台湾、宮古、与那国、那覇、石垣と、歌と三線一本で生きてきたそうだ。

そんな彼女のことを、
カメラマンの
本橋成一さん
が、1年以上にわたって追いかけていて、
12月には映画も公開される。

この日ぼくを誘ってくれた知り合いが、
本橋さんとは古くからの友人だということで、
生まれてはじめて歌と三線でのライブを観る機会をいただいたってわけだ。


会場は浅草にある、
《木馬亭》という小劇場。
渋谷から乗った地下鉄を降り、
浅草の街をぶらぶら歩くところから、
すでに普段とは、
違う空気の中にいるという感じだった。

よく晴れた、連休真っ只中の浅草は、
適度な混み具合で、
人力車に乗った新婚さんに、
「うわぁ、本物の花嫁さんだッ」と歓声を上げるおばあさんや、
浅草寺の参道で、
子どもの名前を呼ぶおとうさん、
「おまんじゅういかがですか」と、
道行く人たちに呼びかけるおばさんの声に混じって、
焦げたソースや、
天ぷらを揚げるごま油の匂いが、
あちこちから流れてくる。
なんだか久しぶりに《正しい休日の過ごし方》ができてるようで、
実に心地いい。


演芸ホールといった雰囲気の木馬亭に入ると、
会場はすでにほぼ満員。
BGMで流れているエノケンをはじめとする、
昭和初期の流行歌や、
ゆる?い島歌。
あちこちから聴こえてくる、
平均年齢若干高め、
且つあらゆる世代のお客さんが談笑する声で、
雰囲気はすでにできあがっていた。

ビールやもなかアイスを売る売り子さんと、
お客さんとのやり取りも聴こえてくる。
売上も上々のようだ。

その間にも、
会場に入ってくるお客さんは後を絶たず、
補助席まで運び込まれている。

この日の模様も撮影されて、
映画の中で使われると聞いていたので、
「補助席が通路ふさいじゃって、
撮影の人たちはだいじょぶなのかなぁ」なんて、
よけいな心配をしていると、
拍子木が鳴り響き、
普段は浪曲をやっているという、司会(?!)の女性が登場し、
独特の、活舌のいい言い回しでナミイを紹介し、
客席は、
やんややんやの大喝采。
いよいよライブがはじまった。

ゆったりとした三線のリズムに乗って、
ナミイが歌いはじめると、
ぼくの後ろの席に座っていた女性は、
手を叩き、
ちいさな声で、
ナミイといっしょに歌っている。
その口元がゆるんでいるということは、
歌声から簡単に想像できた。

1コーラス目を歌い終えたナミイが、
「実は風邪をひいてまして」と、
三線を弾きながらつぶやくと、
あちこちからとてもあたたかで、
にこにこした拍手が響いた。


でもそんな中、
ぼくは完全に取り残されていた。

正直、
想像していた感動には、
ちっとも包まれていなかったからだ。

ナミイの歌声は、
まるで《ビーム》のようだった。

「しゃがれてる」というより、
「だみ声」といった方が近いようなその声は、
かなり喉を閉めながら出されているようで、
口からは、
常に「ビーン」という独特の周波数が発射されていた。

おまけに母音を伸ばす時も、
音量も、音程も、
ちっとも変化させないもんだから、
歌っている間中、
鼓膜より、
むしろ頭蓋骨に、
直接「ビーン」と響きかけるような、
《ナミイビーム》を、
ずっと浴びつづけることとなった。

ナミイが1曲歌う度、
笑顔や拍手、
沖縄独特の指笛に包まれている会場の中で、
ぼくはきっと、
かなりむずかしい顔で、
歌を聴いていたと思う。

「どうしてみんなのように、
たのしむことができないんだろう...」
そんなことを考えていた。


ぼくの中に変化がおきたのは、
ライブも中盤に差し掛かった頃、
それまで沖縄方面の言葉で、
いわゆる島歌を歌っていたナミイが、
はじめて本土の言葉で、
古い昭和の歌謡曲を歌いはじめた時だった。

まるでわからなかった、
彼女の歌う歌詞が、
はじめてほんの少し聴き取れた。
内容は、
「あなたにほれた」とかなんとか、
たわいもないものだったんだけど、
その言葉が耳に入ってきた瞬間、
もうぼくの顔はゆるんでいた。

「音楽を聴くことは、
その人に会いにいくこと」
ぼくはずっと、
こう思ってきたし、
今まで音楽を聴いて味わった感動の大きさは、
どれだけ《その人》を感じられたかということと比例していた。

今回のライブでも、
「歌をとおして、
今までの彼女の人生にふれられそうだ」なんてことを、
無意識のうちに期待していたと思う。

でも、今目の前で、
「ほれた」とか、
「捨てないで」と歌うナミイは、
「歌詞カードに書いてあったから、
ただそれを歌っただけのことです」
とでも言っているかのようで、
それならその歌に、
何か別の想いでも込めているのかといえば、
そういうものもまるで見当たらず、
ぼくの期待は見事に裏切られた。

この裏切りが、
実に心地よかった。


ナミイの歌には、
今までとかこれからとか、
自分とか他人とか、
執着とか欲望とか、
そういうものが何もなくて、
刻々と過ぎ去る《今》だけを、
ただ歌っている、
《無》の歌のように響いてきた。

ピッチとかリズムとか、
今自分が歌う歌詞にすら、
興味がないんじゃないのかなとも思った。

きっと「歌を聴きたい」と言われれば、
ひとりのお客さんに対してでも、
何百人入るホールででも、
風邪っぴきでコンディションが万全でなかろうが、
たとえ身内に不幸があった直後だろうが、
ナミイは今日と同じように、
三線をかかえ、
淡々と、
ただ歌うことができる人なのかもしれない。
そして歌が終われば、
次に彼女を待つ人のところへ、
ひょこひょこと出かけていくんだろう。

いやほんと、
ここまで《無》になって歌う人ははじめて観た。


そうやって、
ナミイの歌にずぶずぶはまっていくと、
彼女が爪弾く三線まで、
それまでとは、
まるで違って聴こえてきた。

その歌と同じように、
一度爪弾いてしまったら、
たとえピッチがずれていようが、
多少音がかすれてようが、
何の修正もごまかしもせず、
まっすぐ放り投げられる三線の音。
どこまでも正直で、
ものすごくいさぎいい、
《弾きっぱなし》な三線だった。


司会の女性にうながされて話してくれた、
《特性歌詞カード》のエピソードも、
実に興味深かった。

彼女はライブがある度に、
その都度わざわざ、
新聞の折り込み広告の裏に歌詞を手書きして、
それをひとつに閉じて作った《特性歌詞カード》を見ながら歌っているそうだ。
しかも、
その文字はすべてカタカナだとか。

そうやって自ら手書きした歌詞を、
ナミイが間違えた時があった。
《キャデラック》を、
《キャラデック》と歌ってしまい、
会場は爆笑。
しかし本人は、
歌詞を間違えたということに、
まるで気づいていないかのように、
時折鼻をすすりながら、
淡々と歌い続けている。

あまりに堂々とした歌いっぷりに、
「この人は、《キャデラック》が何なのかということもぜんぜん知らず、
お手製歌詞カードにも、
《キャラデック》と書いてあるんじゃないかなんてことまで思ってしまった。


ちいさい頃からずっと、
音楽とかかわりながら生きてきたぼくは、
いつの頃からか、
自分なりの《音楽との接し方》や、
それにまつわる《ルール》というものを築いてきたんだと思う。

そして、知らず知らずのうちに、
自分が勝手に決めた《ルール》と照らし合わせてみることで、
快/不快をはじめとした、
様々な判断まで下していたような気がする。

この日聴いたナミイの歌は、
そんなぼくの《ルール》からは、
はるかに逸脱したものだった。

なのに気がつくと、
ぼくの顔はどんどんゆるみ、
ライブの最後には歓声を上げ、
頭の上で思い切り両手を叩いていた。
もうひとつ付け加えると、
あの日の会場で、
曲が終わる度、一番最後まで拍手してたのはぼくだった。


はじめは少し違和感すら覚えてしまった《ナミイビーム》だったけど、
ぼくの《音楽》というものに対する考え方を、
こっぱみじんにしてくれた、
実に痛快な出来事だった。

頭ではわかっていたことだけど、
自分で作ったルールなんて当てはまらないような、
ぼくの知らない世界は、
まだまだたくさんあるんだなぁ。
そう体感させてくれた、
ナミイとの出会いだった。


目の前で、
ただひたすらに歌うナミイを観ていたら、
「もしかして、
こういうものを《祈り》と呼ぶのかもしれないな」と思った。

そして、
ブルースを聴いて涙する黒人の気持ちが、
ほんの少しわかったような気がした。


これから先、
あといくつの《知らなかった世界》と出会うことができるのか、
今からとてもたのしみだ。

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