2006年3月アーカイブ

ここ
でも書いた、
石垣島出身のなみいおばあこと、
新城浪(あらしろなみ)さんの歌を、
ふたたび聴いてきた。
 
会場となったのは、
東中野ポレポレ座。
本橋成一監督が、
約2年にわたって撮り続けた映画、
《なみいと唄えば》
が、ついに完成し、
その公開を記念して催されたライブだった。
 
この日のなみいは風邪をひいていて、
体調、けっこう悪かったと思う。
 
でも、なみいは、
そんなコンディションを、
正面から、突破しようとしているようにみえた。
 
声がかすれようが、
三線を爪弾く指がもつれようが、
決して守りに入ることなく、
目の前にいるお客さんに向けて、
思い切り声をしぼり出し、
次から次へと、ただ、ひたすらに歌いまくる。
 
この姿勢を貫くためには、
ある意味、たくさんのものを捨てなくちゃならないとも思うけど、
それでも、歌い続けること。
それだけはやめないなみいからは、
いさぎよさと覚悟を感じたなぁ。
 
立ち見まで出た会場のみんなも、
そんななみいに向かって手をたたき、
指笛や歌声で応えていた。
 
 
終演後、映画関係者のみなさんの出席する、
打ち上げにも出させてもらったんだけど、
そこで聴いた、なみいの生三線はすごかった。

 マイクを通さず、
空気をふるわせる三線の音は、
まさに《音程つき打楽器》といった感じで、
まっすぐ胸に飛び込んでくる。
 
彼女がかかえている三線は、
9歳の時から、
ずっと弾き続けてきたものだそうだ。
 
お座敷に身売りされた9歳の頃、
きっとまだ、糸を押さえるのもおぼつかなかったなみいのちいさな指は、
沖縄民謡から歌謡曲まで、
ありとあらゆる歌を吸収しながら成長し、
その時代とともに、
様々な場面で、
たくさんの人によりそってきたんだろう。
 
お座敷で、陽気に奏でる恋の歌。
ひとりきりの、浜辺でつむぐ、望郷の歌。
そんなすべてを、
なみいとともに旅しながら、
彼女に抱かれて聴いてきたのが、
この三線ってことになる。
 
そんな、人と楽器の結びつきを想う時、
今、目の前で歌われる歌が、
さらに特別なものに感じられて、
この場所にいられることを、
本当に光栄だと思った。
 
 
帰り際、
彼女とはじめて握手した。
ずっとひとつのことを、
やり続けてきたその手は、
とてもやさしく、やわらかく、
ぼくの手を握ってくれた。
 
この感覚、
ぼくが世界で一番尊敬している、
大好きなジャズヴァイオリニスト、
ステファン・グラッペリーと握手した時に感じたものと、
よく似ていた。
 
 
そしてぼくは、
もうひとつ、
彼女にお願いをした。
 
「左手をさわらせてください」
 
80年近く、
三線の糸を押さえ続けてきたその指先は、
一体どんな風になっているんだろう。
 
「はい。左手ね」
微笑みながら、差し出してくれたその指先は、
びっくりするくらい、
やわらかいものだった。
 
 
なみいはヒャクハタチ(百二十歳)まで、
歌って生きるつもりだという。
 
「今から35年後のその日まで、
ぼくも歌い続けていられるかなぁ」
一瞬、そんなことを考えたけど、
きっとなみいは、
今、目の前にいる人に向かって、
ひたすら歌い続けていたら、
85歳になってたっていう感じなんだろうなぁ。
 
ぼくもそんな風に、
歌い続けていきたいと、
あらためて感じた、
なみいおばあの歌と三線だった。
 
 
晴れて、なみいがヒャクハタチを迎えたら、
もう一度、
左手さわらせてほしいなぁ。
100年以上、
糸を押さえ続けてきたその指も、
やっぱりやわらかいのかなぁ。

去年の暮れから続いていた、一連のライブも、
先週の岡崎で一段落。
 
ということで、
ここのところ、
図書館から借りていた《音声図書》を聴きまくってるんだけど、
そんな中の一冊、
《対岸の彼女(角田光代著)》は、
忘れられない本となった。
 
 
物語の中心となるのは、
17歳の葵と魚子(ナナコ)。
そして、35歳の小夜子と葵。
 
語弊があるのを承知で言えば、
彼女たちは、
《特別な人生》を、歩んできた人たちではないと思う。
 
仮に、葵や小夜子が実在して、
エッセイ執筆なんて話が舞い込んだとしても、
「私の人生なんて、
本にするようなものじゃないですから」なんて、
異口同音に断っちゃうような。
 
高校生の葵と、
娘と夫と暮らしている小夜子は、
《クラスにひとりはいるタイプ》なんてもんじゃない。
 
自信のなさ。
人との距離のさぐり方。
周りの流れに抗うことはできないけれど、
胸の中で感じる矛盾や嫌悪。
あこがれと不安。
 
きっと、男子であるぼくも含め、
クラスの半分以上の人たちが、
どこか自分と重ね合わせちゃうような存在だと思う。
 
 
最近観たテレビの中で、
「大切なのは《正否》ではなくて、
《共感》なんじゃないでしょうか」という言葉を話している人がいて、
もんのすご?く共感しちゃったんだけど、(笑)
まさにこの本は、
《共感の連続》だった。
 
主人公たちだけでなく、
その家族をはじめとした、
登場人物たちの、ちょっとした行動や言葉、
心の動き。
ほんと、数分に一度《共感》しちゃうような。
 
 
人が守ろうとしていたり、
しがみつこうとしているのって、
本当に些細なものだったり。
また、実に些細なことで、
傷ついたり、
傷つけたり、
嫉妬したり、
自信をなくしたりもするんだろうけど、
でも、
うれしくなったり、
やさしさやつながりを感じたり、
信じようとする力が沸いてきたり、
一歩を踏み出すことができるきっかけも、
実は、ほんの些細なことなのかもしれないと、
あらためて、感じたりもした。
 
 
ちょうど卒業を迎えたり、
学生生活の真っ只中にいる人にも、
ぼくと同じ世代にも、
おすすめしたくなる一冊だった。
 
直木賞も取ってる本らしいから、
すでに読んだって人もいるのかなぁ。

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