ナミイのブルース

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石垣島の《ナミイおばあ》こと、
新城浪(あらしろ・なみ)さんの歌と三線を聴きに行った。

現在85歳のナミイは、
9歳で那覇の辻遊廓に身売りされて以来、
サイパン、台湾、宮古、与那国、那覇、石垣と、歌と三線一本で生きてきたそうだ。

そんな彼女のことを、
カメラマンの
本橋成一さん
が、1年以上にわたって追いかけていて、
12月には映画も公開される。

この日ぼくを誘ってくれた知り合いが、
本橋さんとは古くからの友人だということで、
生まれてはじめて歌と三線でのライブを観る機会をいただいたってわけだ。


会場は浅草にある、
《木馬亭》という小劇場。
渋谷から乗った地下鉄を降り、
浅草の街をぶらぶら歩くところから、
すでに普段とは、
違う空気の中にいるという感じだった。

よく晴れた、連休真っ只中の浅草は、
適度な混み具合で、
人力車に乗った新婚さんに、
「うわぁ、本物の花嫁さんだッ」と歓声を上げるおばあさんや、
浅草寺の参道で、
子どもの名前を呼ぶおとうさん、
「おまんじゅういかがですか」と、
道行く人たちに呼びかけるおばさんの声に混じって、
焦げたソースや、
天ぷらを揚げるごま油の匂いが、
あちこちから流れてくる。
なんだか久しぶりに《正しい休日の過ごし方》ができてるようで、
実に心地いい。


演芸ホールといった雰囲気の木馬亭に入ると、
会場はすでにほぼ満員。
BGMで流れているエノケンをはじめとする、
昭和初期の流行歌や、
ゆる?い島歌。
あちこちから聴こえてくる、
平均年齢若干高め、
且つあらゆる世代のお客さんが談笑する声で、
雰囲気はすでにできあがっていた。

ビールやもなかアイスを売る売り子さんと、
お客さんとのやり取りも聴こえてくる。
売上も上々のようだ。

その間にも、
会場に入ってくるお客さんは後を絶たず、
補助席まで運び込まれている。

この日の模様も撮影されて、
映画の中で使われると聞いていたので、
「補助席が通路ふさいじゃって、
撮影の人たちはだいじょぶなのかなぁ」なんて、
よけいな心配をしていると、
拍子木が鳴り響き、
普段は浪曲をやっているという、司会(?!)の女性が登場し、
独特の、活舌のいい言い回しでナミイを紹介し、
客席は、
やんややんやの大喝采。
いよいよライブがはじまった。

ゆったりとした三線のリズムに乗って、
ナミイが歌いはじめると、
ぼくの後ろの席に座っていた女性は、
手を叩き、
ちいさな声で、
ナミイといっしょに歌っている。
その口元がゆるんでいるということは、
歌声から簡単に想像できた。

1コーラス目を歌い終えたナミイが、
「実は風邪をひいてまして」と、
三線を弾きながらつぶやくと、
あちこちからとてもあたたかで、
にこにこした拍手が響いた。


でもそんな中、
ぼくは完全に取り残されていた。

正直、
想像していた感動には、
ちっとも包まれていなかったからだ。

ナミイの歌声は、
まるで《ビーム》のようだった。

「しゃがれてる」というより、
「だみ声」といった方が近いようなその声は、
かなり喉を閉めながら出されているようで、
口からは、
常に「ビーン」という独特の周波数が発射されていた。

おまけに母音を伸ばす時も、
音量も、音程も、
ちっとも変化させないもんだから、
歌っている間中、
鼓膜より、
むしろ頭蓋骨に、
直接「ビーン」と響きかけるような、
《ナミイビーム》を、
ずっと浴びつづけることとなった。

ナミイが1曲歌う度、
笑顔や拍手、
沖縄独特の指笛に包まれている会場の中で、
ぼくはきっと、
かなりむずかしい顔で、
歌を聴いていたと思う。

「どうしてみんなのように、
たのしむことができないんだろう...」
そんなことを考えていた。


ぼくの中に変化がおきたのは、
ライブも中盤に差し掛かった頃、
それまで沖縄方面の言葉で、
いわゆる島歌を歌っていたナミイが、
はじめて本土の言葉で、
古い昭和の歌謡曲を歌いはじめた時だった。

まるでわからなかった、
彼女の歌う歌詞が、
はじめてほんの少し聴き取れた。
内容は、
「あなたにほれた」とかなんとか、
たわいもないものだったんだけど、
その言葉が耳に入ってきた瞬間、
もうぼくの顔はゆるんでいた。

「音楽を聴くことは、
その人に会いにいくこと」
ぼくはずっと、
こう思ってきたし、
今まで音楽を聴いて味わった感動の大きさは、
どれだけ《その人》を感じられたかということと比例していた。

今回のライブでも、
「歌をとおして、
今までの彼女の人生にふれられそうだ」なんてことを、
無意識のうちに期待していたと思う。

でも、今目の前で、
「ほれた」とか、
「捨てないで」と歌うナミイは、
「歌詞カードに書いてあったから、
ただそれを歌っただけのことです」
とでも言っているかのようで、
それならその歌に、
何か別の想いでも込めているのかといえば、
そういうものもまるで見当たらず、
ぼくの期待は見事に裏切られた。

この裏切りが、
実に心地よかった。


ナミイの歌には、
今までとかこれからとか、
自分とか他人とか、
執着とか欲望とか、
そういうものが何もなくて、
刻々と過ぎ去る《今》だけを、
ただ歌っている、
《無》の歌のように響いてきた。

ピッチとかリズムとか、
今自分が歌う歌詞にすら、
興味がないんじゃないのかなとも思った。

きっと「歌を聴きたい」と言われれば、
ひとりのお客さんに対してでも、
何百人入るホールででも、
風邪っぴきでコンディションが万全でなかろうが、
たとえ身内に不幸があった直後だろうが、
ナミイは今日と同じように、
三線をかかえ、
淡々と、
ただ歌うことができる人なのかもしれない。
そして歌が終われば、
次に彼女を待つ人のところへ、
ひょこひょこと出かけていくんだろう。

いやほんと、
ここまで《無》になって歌う人ははじめて観た。


そうやって、
ナミイの歌にずぶずぶはまっていくと、
彼女が爪弾く三線まで、
それまでとは、
まるで違って聴こえてきた。

その歌と同じように、
一度爪弾いてしまったら、
たとえピッチがずれていようが、
多少音がかすれてようが、
何の修正もごまかしもせず、
まっすぐ放り投げられる三線の音。
どこまでも正直で、
ものすごくいさぎいい、
《弾きっぱなし》な三線だった。


司会の女性にうながされて話してくれた、
《特性歌詞カード》のエピソードも、
実に興味深かった。

彼女はライブがある度に、
その都度わざわざ、
新聞の折り込み広告の裏に歌詞を手書きして、
それをひとつに閉じて作った《特性歌詞カード》を見ながら歌っているそうだ。
しかも、
その文字はすべてカタカナだとか。

そうやって自ら手書きした歌詞を、
ナミイが間違えた時があった。
《キャデラック》を、
《キャラデック》と歌ってしまい、
会場は爆笑。
しかし本人は、
歌詞を間違えたということに、
まるで気づいていないかのように、
時折鼻をすすりながら、
淡々と歌い続けている。

あまりに堂々とした歌いっぷりに、
「この人は、《キャデラック》が何なのかということもぜんぜん知らず、
お手製歌詞カードにも、
《キャラデック》と書いてあるんじゃないかなんてことまで思ってしまった。


ちいさい頃からずっと、
音楽とかかわりながら生きてきたぼくは、
いつの頃からか、
自分なりの《音楽との接し方》や、
それにまつわる《ルール》というものを築いてきたんだと思う。

そして、知らず知らずのうちに、
自分が勝手に決めた《ルール》と照らし合わせてみることで、
快/不快をはじめとした、
様々な判断まで下していたような気がする。

この日聴いたナミイの歌は、
そんなぼくの《ルール》からは、
はるかに逸脱したものだった。

なのに気がつくと、
ぼくの顔はどんどんゆるみ、
ライブの最後には歓声を上げ、
頭の上で思い切り両手を叩いていた。
もうひとつ付け加えると、
あの日の会場で、
曲が終わる度、一番最後まで拍手してたのはぼくだった。


はじめは少し違和感すら覚えてしまった《ナミイビーム》だったけど、
ぼくの《音楽》というものに対する考え方を、
こっぱみじんにしてくれた、
実に痛快な出来事だった。

頭ではわかっていたことだけど、
自分で作ったルールなんて当てはまらないような、
ぼくの知らない世界は、
まだまだたくさんあるんだなぁ。
そう体感させてくれた、
ナミイとの出会いだった。


目の前で、
ただひたすらに歌うナミイを観ていたら、
「もしかして、
こういうものを《祈り》と呼ぶのかもしれないな」と思った。

そして、
ブルースを聴いて涙する黒人の気持ちが、
ほんの少しわかったような気がした。


これから先、
あといくつの《知らなかった世界》と出会うことができるのか、
今からとてもたのしみだ。

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このページは、Mプロが2005年5月 2日 13:48に書いたブログ記事です。

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