やっぱりライブッ

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TBSのNY支局長、松原耕二さんが、
ほぼ日刊糸井新聞
に連載しているコラム、
《ぼくは見ておこう》の中に、
44歳の死
という、
作家、野沢尚さんの自殺について書いた文章があって、
今朝それを、一気に読破してしまった。


このコラム、
思わずマネージャー☆ナカジマにも紹介したら、
速攻かえってきたメールが、
これまたかなりおもしろかった。

ーーーーー
もしかして、野沢さんのなかには、
「自分をわかってほしい」という思いと
「他人にわかるわけない」っていうプライドにも近い思いと
両方が同居してたのかも。
ーーーーーーー
《野沢さんの中にあるふたつの想い》
これ、すんごく鋭いとこ突いてると思った。
まさにそうだったのかもしれないなって。

《映画にならなきゃ紙くず同然》という脚本を書きつづけ、
たどり着いたテレビの世界でも、観客の顔は一切見えず、
《視聴率》という《見えない力》と対峙することになって...。

そんな状況に加えて、
《ふたつの想い》の間でも、ゆれてたとしたら、
たとえどんなに名誉ある仕事の最中だったとしても、
相当キツいだろうなぁ。

そういう意味では、
お客さんと向き合って展開させていける《ライブ》って、
とってもしあわせな表現方法だよなって思った。

演奏後にもらった拍手や、
届いた感想の数々を読んでいて感じるのは、
「自分をわかってもらえたッ」というよりも、
「さらに相手を感じることができたッ」という喜び。
あの、えもいわれぬ幸福感。
これこそが、
ライブを続けていくための原動力そのものだ。


それで思い出したのは、
前にダウンタウンの松本人志さんが言ってた、
「オレらを見に来てくれてるってことがわかり切ってるライブという形態じゃなくて、

つまんなきゃさっさとチャンネルを変えられちゃうテレビの中で、
どれだけ天下取っていけるのかってことにしか興味がない」って言葉。

きっと彼は、
今のぼくには想像もできないような、
もんのすご?く長い棒をかつぎながら、
その両端にぶら下がる、
《自分》と《受け手》のバランスを、
取るってことをやろうとしてるんじゃないのかなって思った。
「自分もそこに到達したい」なんてこと、
今はぜんぜん思ってはいないけど、
まったくすごい境地だよなぁ。


それから松原さんのコラム文末にあったこの言葉、

ーーーー
私はそれまで自殺の報に接するたび、
「なにも死ななくても...」という思いを
拭い去れなかった。
だが野沢さんの死に接し、
こんなふうに考えるようになった。
「人は死ぬよりほかないときも、
あるのかもしれない」と。
ーーーー

これってまさに、
知り合いの自殺という事実とはじめて直面することになった時、
ぼくが感じたこととまるっきりいっしょだった。

もちろん自殺を容認するつもりなんて、
これっぽっちもないけれど、
あの時確かに、
《その人》の人生までは、
誰にも否定することなんてできないということを、
あらためて強く感じたんだよなぁ。


インターネットラジオ《TARO-WAVE》の、
2005年最初の放送
で、《視力回復》を今年の目標にかかげたワタクシといたしましては、
「どこに、誰に向かってるのかわからないッ」って状況に陥らないためにも、
やはり相手、そして自分を《観る目》というものを、
もっともっと養っていきたいと、あらためて思った、今朝の出来事でした。

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このページは、Mプロが2005年3月 2日 03:02に書いたブログ記事です。

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